プログラムPROGRAM
2012 8

新作ドキュメンタリー「ほかいびと 伊那の井月(せいげつ)
     同時上映:「神屋原の馬」+「海南小記序説・アカマタの歌
 ─西表島・古見─
2012年8月10日(金)~14日(火)
北村皆雄監督の新作『ほかいびと』の公開にあわせ、映像民俗学の重要作である『神屋原(カベール)の馬』と『海南小記序説・アカマタの歌 ─西表島・古見─』を上映します。

  芥川龍之介に見いだされ、
  山頭火に慕われ、
  つげ義春が漫画に描いた
  井月(せいげつ)
 
  野垂れ死の終末への〈物言わぬ沈黙〉の
        盛り上がりに感銘しました
            ───俳人・金子兜太
 
「ほかいびと 伊那の井月(せいげつ)(2011/119分/ブルーレイ)
製作:一般社団法人井上井月顕彰会、ヴィジュアルフォークロア
監督:北村皆雄 撮影:高橋愼二、金沢裕司、明石太郎、北村皆雄、櫻庭美保、石曽根志季子
美術:北澤一伯 音楽:一柳慧
 
主演:田中泯 語り:樹木希林
 
井月愛好の伊那人が80年かけて集めた1800の句、逸話、日記の断片、聞き書きにもとづいた
ドキュメント&フィクション。
4年の歳月をかけて、井月の謎の生涯を明らかにする。
 
幕末、一人の男が3000m級の山々の裾に広がる伊那谷にやってきた。俳諧師と名乗る以外、一切自分のことは語らなかった。彼が村人に受け入れられるようになるのは、人々の苦しみ、悲しみ、喜びに寄り添って句を詠むことにある。正月、雪、子供の節句、花見、お蚕様、葬式、お盆、紅葉など、四季の風景と行事に合わせ、井月を登場させ再現風に描く。井月を演ずる田中泯は、井月ゆかりの場所や家を訪ね、井月の沈黙の奥に何があるかを演ずることになる。
幕末から明治という時代の大きな波が井月を覆う。明治維新の戊辰戦争では故郷長岡の壊滅に、伊那の高遠藩士も参加した。風雅の道を夢見る井月は故郷を見捨てた。井月の葛藤。明治になって新しく戸籍法ができ、神仏分離令で無住のお堂が壊され、井月のような放浪者は暮らしにくくなった。伊那に侍姿で登場した井月も晩年は、乞食井月とさげずまれ、子供にも石を投げられるような惨めな姿になった。師走、伊那の火山(ひやま)峠で野垂死に同然で発見された井月は、2か月後、遺句を残して死んでいった。明治という時代が追いやった死である。

井上井月(いのうえ・せいげつ)
ふらりとやってきた漂泊の俳人、井月。幕末から明治にかけて、伊那谷をおよそ三十年放浪した男。家もない、家族もない、ここに一泊、あそこに二泊と一所不在を貫く。
井月は伊那の自然、風土、生活を詠う。訪れる家を寿ぎ、死者への追悼句を捧げる。
乞食井月、一宿一飯のお礼にと句を置いて去る姿は、日本古来の「ほかいびと〈寿・祝人〉」を思わせる。

 
同時上映(2本立て)
「神屋原
(カベール)の馬」
(1969/28分/DV上映[原版16mm])
製作・演出:北村皆雄
脚本:赤羽敬夫、河手禎、北村皆雄
撮影:市川雅啓 編集:金沢信二郎
音楽:小杉武久 制作:集団眼
出演:内間秀子、内間豊三、内間マック
語り:北林谷栄
北村皆雄24歳の1966年、琉球王朝の聖地・久高島で十二年に一度午年に行われる神事「イザイホー」を記録すべく、友人に借りた16mmカメラのボレックスを持ち、カメラマンと二人でアメリカ統治下の沖縄へ渡った。3年後の1969年に再び久高島を訪れ追加撮影してまとめ上げた作品。
久高島北端のカベール岬は、琉球神話で沖縄の祖神が初めて降り立ったと言われる場所。島の始祖神話、オナリ神信仰、御嶽、風葬などを、島の老女(語り:北林谷栄)が沖縄口と日本語を交えて語る。
「海南小記序説・アカマタの歌
  ─西表島・古見─」

2006年新編集版
(1973/81分/DV上映[原版16mm])
製作構成:北村皆雄、松村修、三上豊、小川克巳、深元敬、内藤陽子
撮影:柳瀬裕史 制作:夜行鬼
作曲:上地昇
演奏:鈴木和子、竹脇仁美、定成庸二、上地昇
語部:鈴木瑞穂
 
沖縄の島々の中で写真撮影や映像記録を許さない秘儀が二つある。一つは宮古島諸島でおこなわれている「祖神祭」、もう一つは八重山諸島に残っている通称「アカマタ・クロマタ」と呼ばれる祭りである。
沖縄、西表島の古見に残る豊年祭はアカマタと呼ばれ、よそ者が見ることも撮影することも禁じられている。島に乗り込んだスタッフは村入に近づこうとするうちに彼らの生活かアカマタを中心にして展開していることを発見する。結局、秘儀そのものを画面に捉えることことは出来ないが、彼らの内面、生活、人生にいたるまでがアカマタに支配され、そのタブー性が画面に浮かび上がってくる。北村は自らが撮影・製作したものの、30年間封印していた映画で、ようやく一般の眼にも触れることが出来るようになった。

北村皆雄(きたむら・みなお)
1942年伊那市生まれ。早稲田大学卒業と同時に記録映画、TVドキュメンタリーの監督として活動。78年「日本映像民俗学の会」を野田真吉らと設立。81年ヴィジュアルフォークロア設立し、NHK、TV朝日、TBSなど多数のテレビドキュメンタリー番組を製作。上映作品としては『神屋原の馬』『アカマタの歌』のほかに『見世物小屋』(97)『修験 羽黒山・秋の峰』(05)が知られている。
ヴィジュアルフォークロア作品一覧

《料金》
1プログラムあたり
一般1700円 学生・シニア1300円
会員1300円 学生会員・シニア会員1000円


セット券(「ほかいびと」+「神屋原の馬」+「アカマタの歌」)
一般2500円 学生・シニア2000円
会員2000円 学生会員・シニア会員1700円


早稲田大学演劇映像学連携研究拠点平成24年度公募研究「「映画以後」の幻灯史に関する基礎的研究」
昭和幻灯会
2012年8月26日(日)

第一部 19:00〜19:50
上映『ぼくのかあちゃん』(約20分)
レクチャー「《生活芸術》としての幻灯」講師:鷲谷花

第二部 20:00〜21:10
合唱付き上映『日鋼室蘭首切り反対闘争記録 嵐ふきすさぶとも』第一・二巻(約70分)

「幻灯」―光源とレンズを利用した静止画像の拡大映写装置―は、19世紀末の映画の誕生に際して、技術面でも興行文化面でも多大な影響を及ぼしたことから、もっぱら「映画以前」の映像メディアとして関心を集めてきました。反面、「映画以後」の幻灯の運命については、映画の大衆的メディアとしての本格的普及とともに歴史的役割を終え、衰退していったと、従来は理解されてきました。
しかし、日本における幻灯は、戦時国策教育メディアとして1941年前後に復興を果たし、占領期にも、視聴覚教育を重視した占領政策のもと着実に需要を伸ばし、そして戦後の一時期にめざましい発展を遂げることになります。幻灯は学校・社会教育の場で視聴覚教材として活用されたばかりでなく、誰にでも作り、上映することのできる映像メディアとして、社会福祉運動、労働運動、反基地運動、原水禁運動など、戦後に勃興したさまざまな社会運動の教育宣伝目的に幅広く活用されました。
今回は、神戸映画資料館に保管されていた貴重な幻灯フィルムを、幻灯機を用いて上映し、併せて1950年代の幻灯史に関するレクチャーを行います。「前映画」にも「映画の代用品」にも留まりきらない独自のポテンシャルをもつメディアとしての幻灯を再発見する貴重な機会にお立会いください。
第一部 19:00〜19:50
上映「ぼくのかあちゃん」
(1953年/約20分)製作:東大セツルメント川崎こども会
構成:加古里子 協力・配給:日本幻灯文化社
「セツルメント」とは、知識人が都市の貧困地区に住み込み、住民との親密な関係を築きつつ、物質的及び精神的環境を改善することをめざす地域福祉活動。1924年に発足した帝大セツルメントは、38年の左翼大弾圧に伴う関係者一斉検挙によって一旦途絶するが、49年のキティ台風被災の救援活動を機に東大セツルメントとして再組織され、以来、全国的な活動へと広がってゆく。今日まで日本を代表する絵本作家として活躍を続けている加古里子(かこ さとし)は、東大セツルメント復活直後から、川崎こども会の運営に参画し、会に集まる子どもたちと共同で紙芝居及び幻灯の創作活動に取り組んでいた。
当時の川崎こども会の幻灯活動は、『山びこ学校』の反響によって活気づく生活綴方・生活記録運動の流れを汲みつつ、創作・上映プロセスへの子どもたちによる自主的・積極的な参加を促すという方針を採っており、子どもたちの作文と児童画をアレンジして構成した本作もそうした実践のユニークな一例といえる。加古の自伝『絵本への道―遊びの世界から科学の絵本へ―』(福音館書店、1999念)によると、「『ぼくの母ちゃん』(一九五三年)はセツルの子どもに題材をとった生活もので、子どもの作文という形でやりました。雑誌に載った後で日本幻灯文化社が幻灯に作って出してくれました。本数は百本か二百本でした。これで入ってくる何がしかのお金が子供会の活動の資金にもなりました」(34頁)。
レクチャー「《生活芸術》としての幻灯」
講師:鷲谷花
早稲田大学演劇博物館招聘研究員。映画学、日本映像文化史研究。共編著に『淡島千景 女優というプリズム』(淡島千景、坂尻昌平、志村三代子、御園生涼子編著、青弓社、2009年)。
第二部 20:00〜21:10
「日鋼室蘭首切り反対闘争記録 嵐ふきすさぶとも」第一・二巻

合唱付き上映(約70分)
製作:日鋼室蘭労働組合 配給:日本幻灯文化社
合唱:日吉聖美、遠藤美香、田中裕介、中西金也
三井財閥傘下、日本最大の民間兵器工場として名高かった日本製鋼室蘭製作所は、朝鮮戦争特需景気下、在日米軍のいわゆるPD工場として兵器製造を再開し、経営合理化と労働強化を推し進める。1954年6月18日、会社は戦争特需終結とデフレ政策による業績悪化を理由に、976名の人員整理を含む合理化案を発表、これに反対する日鋼室蘭労働組合はストライキに突入、その後、第一組合と第二組合の分裂と相互対立など、事態は混迷を極めるが、争議開始以来224日目に中労委の斡旋案を労使双方が受諾することで収束に至った。最終的な解雇者は662名だった。
第一組合(旧労)の立場から争議の全過程を記録する、この全110コマに及ぶ長大な幻灯は、1952年10月17日に始まる日本炭鉱労働組合(炭労)主導の63日間の賃上げ要求争議を記録する『激斗63日 われらかく斗う』(製作:炭労、1953年)と並び、1950年代を中心に盛んに製作された労働争議幻灯の中でも、とりわけ成功した作品だったらしい。総評が1955年に主宰した組合員向けの文化講習会に際して、配給元の日本幻灯文化社の社員が、「日鋼室蘭の幻灯のように、正しくその闘いをあらわにし、国民の運命につながるものをもつならば、強く心に訴える作品になるということです。日鋼室蘭の幻灯は素晴らしい評判でした。いままで幻灯を馬鹿にしていたという神奈川鶴見の国鉄の労働者は『はずかしいけど涙が出た……』また、東京の日通両国支部では幻灯をみて『早速カンパしようじゃないか』と決められました。」(日本労働組合総評議会教育文化部『現代文化講座』、1956年、167頁)と発言しており、本作の影響力の強さが伺い知れる。

《料金》無料

主催:早稲田大学演劇映像学連携研究拠点平成24年度公募研究「「映画以後」の幻灯史に関する基礎的研究」(研究代表者:鷲谷花)
共催:プラネット映画資料図書館、神戸映画資料館


これまでのプログラム|神戸映画資料館

※内容は予告無く変更する場合があります。

※作品によっては、経年退化で色褪せしている場合がございます。予めご理解ご了承の上、ご鑑賞くださいますようお願い申し上げます。